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イベント情報
日本大学文理学部人文科学研究所 第18回哲学ワークショップ 「死の形而上学の新たな展開」 [2023年02月27日]
開催日:2023年3月14日
会場:日本大学文理学部3号館3403教室
日本大学文理学部人文科学研究所主催第18回哲学ワークショップ
「死の形而上学の新たな展開」
時間:13:30-16:30
会場アクセス: https://chs.nihon-u.ac.jp/about/access/
開催方法:ハイブリッド形式(現地開催+Zoomによる遠隔開催)
※今回のワークショップは、ハイブリッド形式で行います。対面でご参加の方は、直接会場でご参加ください(その場合は事前登録は不要です)。遠隔での参加をご希望の方は、以下の参加申し込みフォームにご記入いただくと、自動返信でZoomのミーティングルームの情報を取得できます。
※質疑応答については現地参加者を優先致しますので、その点はご了承ください。
プログラム
主旨説明(13:30-13:40)
吉沢文武「死者のための福利の形而上学」(13:40-14:30)
佐々木渉「実存的恐怖と時間の形而上学」(14:30-15:20)
休憩(10分)
討論(15:30-16:30)
要旨
吉沢文武「死者のための福利の形而上学」
人生には、幸せなときも不幸なときも、どちらでもないときもある。人の福利は、生きているあいだ、正や負やゼロの水準をもつ(数値で表せると仮定して)。そんな時間も過ぎ去り、誰にでも死が訪れる。さて、人の死後には、その福利は何かしらの水準をもちうるだろうか。人は死後にはもはや存在しないのだから、ゼロであれ何であれ、福利はいっさい帰属しないだろうか。本発表の目標は、「人は死後に福利をもちうるか」という問いをめぐる現代分析哲学の議論の見通しを少し良くすることにある。とくに、Bradley 2013 (“Asymmetries in Benefiting, Harming and Creating”)やFeit 2016 (“Comparative Harm, Creation and Death”)を中心とする論争に注目する。本発表で示したいのは、「福利の主体である人(死者)とはどんな対象なのか」、「福利とは何か」、「何が福利の価値を基礎づけるか」といった形而上学的な問いの階層を区別することで、この論争において取り組むべき課題が整理され、この論争のもつ意義もより明確になる、ということである。
佐々木渉「実存的恐怖と時間の形而上学」
近年、時間の形而上学を、実存的恐怖(自分の存在がいずれ死によって消滅してしまうかもしれないという恐怖)と結びつける試みが、再検討されている。中でも、Banfi(2021)”Existential dread and the B-theory of time.” Synthese (5-6):1-18.は実存的恐怖を、「不滅ではない(being mortal)」という性質を形式的対象にとる感情として分析した上で、この性質が時間のB理論と両立しない性質であると示し、時間のB理論のもとでは、実存的恐怖が合理的な感情ではない(正しくも理解可能でもない)と結論づける。本発表では、Banfi (2021)の議論を批判的に検討し、Banfi (2021)では根本的事実から過度に強い結論が導かれているか、A理論からも同様の結論が引き出されてしまう、ということを示す。さらに、特定の時間論のもとで、実存的感情が合理的な感情ではないという結論を得るためには、時間的思考全般について懐疑的になる必要があるとも指摘する。