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イベント情報

人間知・脳・AIセミナー(北海道大学、2019年9月17日)のご案内 [2019年08月23日]

開催日:2019年9月17日

会場:北海道大学

3回 人間知・脳・AIセミナー(CHAIN Seminar

経験を伝えること/経験を共有すること

何年もかけて書き上げた投稿論文がリジェクトされたとき、私は、悲しみ、悔しさ、失望、怒りなどを混ぜ合わせたような複雑な感情経験をもつ。どうすれば、この経験を誰かに分かってもらえるのだろう。どうすればこの感情を余すことなく誰かに伝えることができるだろう。論文のリジェクト経験がない優秀な同僚には、この感情を分かってもらえないかもしれない。けれども、同じように論文がリジェクトされた経験がある友人であれば分かってくれるだろうか。頭を抱えて唇を噛みしめている私を慰めてくれている恋人は、この感情を共有してくれているのだろうか…。

 ここには多くの論点が存在する。(1) 言語を通じて経験内容を伝えることは可能なのか。(2) 可能だとすれば、どの程度まで伝えることができるのか。(3) 経験内容を伝えるために、言葉のほかにどういう方法が使えるのか。(4) 経験内容はどのレベルで「共有」されうるのか。(5) 誰かの経験を理解するには、自分も同じような経験をしている必要があるのか、等々。

 本ワークショップの目的は、こうした問いについて哲学的、工学的、心理学的観点から学際的に議論することにより、「経験を伝えること、経験を共有すること」についての理解を深めて、このテーマにかかわる科学的な研究を推進していくことである。

ワークショップ提題者(所属、専門分野):

l  新川拓哉(Institut Jean Nicod / 北海道大学、心の哲学・意識の哲学)

l  宮原克典(University of Wollongong、現象学)

l  山田圭一(千葉大学、心の哲学・認識論)

l  村田藍子(NTTコミュニケーション科学基礎研究所、心理学)

l  笠原俊一(Sony Computer Science Laboratories、情報科学・工学)

指定討論者:

l  渡邊 克巳(早稲田大学理工学術院、認知科学)

日時:201991710時~18

場所:北海道大学 人文社会科学総合教育研究棟W202

オーガナイザー:新川拓哉

連絡先:niitaku11@gmail.com

主催:科研費基盤C「意識の構造についての神経現象学的研究」(18K00032 代表者・新川拓哉)

共催:北海道大学人間知・脳・AI 研究教育センター(CHAIN)、北海道大学文学研究院哲学倫理学研究室、新学術領域研究(研究領域提案型)「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」

後援:北海道大学大学院文学研究院 応用倫理・応用哲学研究教育センター

タイムテーブル

10:00-10:10 ワークショップの趣旨説明

10:10-11:00 新川拓哉「みんなの経験をもっとよく知るために」

11:10-12:00 山田圭一「感覚は言語によってどこまで伝えることができるのか」

12:00-13:30 昼食休憩

13:30-14:20 村田藍子「身体情報に基づく情動経験の共有」

14:30-15:20 笠原俊一「視点映像の共有と体験の共有」

15:30-16:20 宮原克典「道徳的共感と認識において謙虚であること」

16:30-18:00 指定討論者によるコメントとフロア全体でのディスカッション

アブストラクト

                            みんなの経験をもっとよく知るために

―意識経験の言語的記述の質を高めるためのいくつかの試み―

                                  新川拓哉

 現代の科学的な意識研究は、被験者の意識経験の内観的な言語報告をデータとして用いる。だが、意識経験を言語的に記述するのは簡単ではない。特に、一般的な被験者が複雑な意識内容や微妙な経験変化を言語的に報告するのは困難である。本発表では、内観報告の質を高めることを目的としたいくつかの試みを紹介したうえで、こうした試みが意識研究をどう発展させていくのかを考察したい。

 

感覚は言語によってどこまで伝えることができるのか

―ウィトゲンシュタインの私的言語論を手がかりに―

 山田圭一

本発表では、言語を通じて感覚を伝えることは可能なのかという問題をウィトゲンシュタインの議論をもとに考察する。まず、彼の考える「私的言語」と日常言語との違いをもとに感覚語を学ぶための条件と感覚語がもつ特有の文法を明らかにする。そのうえで、感覚の文法をマスターした者が自分の感覚をさらに分節化する際の表現に着目し、それらの表現の伝わらなさを意味体験と理由のアスペクトという観点から考えてみたい。

                              身体情報に基づく情動経験の共有
                                  村田藍子

喜ぶ姿を見て笑みが溢れる、涙を流す人を見て心が痛むなど、他者の情動は時に伝染する。このような感受性をもつ個人同士が相互作用すると、各人の情動経験はどのように変化するのだろうか。本発表では、二者が同時に情動体験をする場面において、互いの身体反応を観察することで、言語的コミュニケーションを経ずとも、自律神経系の情動反応が個人間で収束することを示した実験研究についてご紹介したい。

視点映像の共有と体験の共有
笠原俊一

体験を共有したいと思った時、我々は映像を用いることが多い。見えているものを共有することが、体験の共有を可能にするのであろうか。本発表では、一人称映像をリアルタイムに共有するシステムを用いた体験共有の試みから、視覚共有による体験共有の限界と可能性に関して複数の研究プロジェクトから紹介する。

道徳的共感と認識において謙虚であること

宮原克典

 共感には、他者の目線で世界を眺めること(「他者のほうを向いた視点取得 (other-oriented perspective taking)」)が必要だといわれる。しかし、これはいかにして可能なのか。共感に関するシミュレーションモデルによると、私たちが他者の視点を取得できるのは心的シミュレーションのおかげだという。しかし、シミュレーション主義的アプローチは、道徳的共感の可能性に対してあまりに懐疑的な立場につながる。本論では、視点取得の概念を再考し、道徳的共感がシミュレーションよりも、認識において謙虚であるという徳 (virtue of epistemic humility)に依存していることを明らかにすることで、共感の道徳的意義を取り戻すことを目指す。

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最終更新日 - (c)2006 科学基礎論学会
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