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イベント情報

研究会「言葉の意味を理解するとはどのようなことか:意味理論再考」 [2019年07月11日]

開催日:2019年7月24日 (水)16:30-19:30

会場:東京大学駒場キャンパス14号館7階708号室

三上温湯氏と田中凌氏をお招きして、言語哲学に関する研究会を開催いたします。事前予約は不要です。みなさまのご参加をお待ちしております。

スケジュール
16:30-17:55 
三上温湯(首都大学東京)

タイトル:「理解の理論」の射程

要旨:M.ダメットが、「意味の理論(theory of meaning)」と呼ばれる独自の哲学的理論のプログラムを提唱したことはよく知られている。言語表現の意味の探求に際して、〈言語習熟話者の持つ意味理解〉と、その理解が存するところの〈振舞い〉についての説明を要求する彼の(徹底した意味理論の)試みは、意味の探求としては過大で、実現不能な要求を課しているものと評価されることも多く、そもそも、なぜ彼がこのような理論構築を目論んだのかということさえ未だ明らかではない。

 本発表では、ダメット意味理論の着想の多くを負うているフレーゲの仕事に焦点を当て、インフォーマルな数学の言語の形式化とその正当化という彼の仕事を例にとり、そこではまさにダメットが念頭に置くところの意味理論が志されているということを紹介する。これを通じて、ダメットのこうした意味理論の構想が、決して過大であったり、特殊な理論的興味から恣意的に創出されたものなのではなく、我々の言語活動を合理的活動として説明を与えるという、非常に一般的・根本的な問題意識の下にあるものであることを示す。

18:05-19:30 

田中凌(コネチカット大学)

タイトル:言語表現の意味についての知識? 
要旨:言語表現の意味を理解して使用するには、その表現の意味についての「知識」が必要である。この考えは直感的であり、言語実践を合理的活動として捉える際の前提であるとも思われる。しかし一方、話者は自分が「知っている」はずの知識内容を述べることにしばしば困難を覚える(Pietroski (2003))。こうした点に基づき、意味理解を可能にしている能力の記述に「知識」(少なくとも「命題知」)概念を用いることは不適切ではないかという、上記の直感への懐疑がしばしば提示される(Chomsky (1986), Devitt (1996), Millikan (2005) など)。
 本発表では、この直感とそれに対する懐疑との調停を試みる。そうした調停には二種類の「意味の知識」概念の区別(Gross (2010), Smith (2008))が必要である。ひとつめは最低限の言語の習熟に必要な能力としての実践知であり、ふたつめは「注意深く言葉を選んで」発話をする場合などに必要となる、明示的な命題知である。この区別のもとでは、上記の直感と懐疑とはそれぞれ別の種類の「意味の知識」を対象とするものとなり、対立は解消される。今後考察されるべきなのは、ふたつの種類の知識が持つ関係についての問いとなることを指摘し、時間が許せばそれについて発表者の考えを最後にいくつか述べる。

お問い合わせ先:藤川直也(東京大学) fjnaoya [at] gmail [dot] com

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最終更新日 - (c)2006 科学基礎論学会
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